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行き帰りの電車の中、お風呂の中、そして食事のときが、おさらいの場所であり時間となった。大きくなってからは、仕事をしながら横目で見張るだけだった。でも心がけたのは、いつも笑顔を絶やさないこと、ヒステリーを起こさず人に当たらないように注意することだった。
このごろ、直幸がお隣のお兄さんや博英とお風呂に入って、滑ったのか風呂の底に沈み、水を飲んでしまい瀕死状態になったが、私の処置で命拾いをしたこともあった。
京成津田沼から船橋で乗り換え、国電で亀戸下車、歩いて学校への通学時問はざっと二時間かかったが、遅刻も欠席もなく、親子で表彰されたこともあった。
小学一年生となり、直幸も友だちと一緒に遊べるようになってはきたが、まだまだ、おとなしかった。藁をもつかむ気持ちで針の治療に、始業時間前、二時問もかけて梅ヶ丘へ三ヵ月も通った。かなり高い代金を払っての治療だった。だが以後、「勉強に頼るほかに道はない」と、我が心に言い聞かせた。切ない毎日であった。
日曜日には子供二人を連れて、地図を頼りに東京、箱根の名所めぐり、家を出るときに目的地を示し、後の行動は切符を買うことなどを教えて二人に任せた。でも楽しい充実した生活だった。
小学二年の五月、主人の父が他界し、一日も離したことのない直幸を地図を書いて一人で登校させた。そしてお巡りさんへのお願いと、電話番号を書いて首にさげた。京成津田沼駅の乗り換えはむずかしいが、成田線大和田駅で下車、徒歩二十分で通学できた。「してやったり」と嬉しかった。「もう一人で通学も大丈夫だ」と自信がついた。

 

 

 

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